ラベル 東大寺境内散策 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東大寺境内散策 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年2月27日土曜日

東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース④知っていると面白い豆知識:後編

「知っていると面白い豆知識:後編」では足元の雑学を拾ってみましょう。

こちらでは
▷良弁杉の足元には
▷大仏殿参道の石畳
▷食堂跡と講堂跡の礎石
▷境内にある階段いろいろ
▷公慶道を歩く・・・・などをご案内します。


▷二月堂 良弁杉の足元には

 
根元付近には、樹齢600年の初代良弁杉の根っこが残っているのです。

1961年の台風で初代の良弁杉が裂けた後に植えられた二代目はその数年後に枯死し、
現存の良弁杉は3代目で実生で育ったものだそうです。

こちらの写真は一昨年ご宿泊いただいたお客様より送っていただいた写真です。

1994年に撮影されたこの写真。
3代目良弁杉がまだ舞台の欄干よりも低くて、
3月14日の「尻焦がし松明」が10本勢ぞろいしているところが綺麗に見えます。
今では良弁杉の背丈も大きく、このようには見えないと思います。

▷大仏殿の参道、八角灯籠の前の石畳の色が色々なのは?

 
大仏殿前の参道の石は中央の青味がかった石が仏教の生誕地「インド」産で
その両側の赤みがかった石が「中国」産、またその両側の白っぽい石が「韓国」産。
一番外側の斜めに広がってるのが「日本」の石で製作されていて、仏教の伝播ルートを表しているのです。
以前この参道は砂利道だったそうで、大仏さまが埃まみれになってしまわれることから
黒川記章氏の設計で石敷きにされたそうです。
また、参道の両端の溝には、大屋根の鴟尾が水面に写るように設計されています。
だから鴟尾と鴟尾の間隔が、参道の幅と全く同じというわけです。(狭川普文師著「東大寺物語」より)

▷食堂跡の礎石

さて、こちらは何でしょうか?

大湯屋から北に進んだ宝厳院がある辺りの道の中央に位置するこの礎石は
かつてこのあたりにあった「食堂」の礎石だそうです。

そしてこちらはご存知、講堂跡の礎石群です。


かつてここにあった大きな講堂。ご本尊は千手観音像であったと言われています。
講堂跡の中央付近には、ご本尊の基壇敷石の一部が半分以上 地面に埋もれて残っているらしのですが
私は、この石がそれだと特定できずにいます。(どなたか教えて下さい)

静寂に包まれたのどかな雰囲気の講堂跡ですが、
かつては、講堂を囲むように東と北と西の三方向に僧坊が建ち並び
三面僧坊と呼ばれて、全国から集まった僧侶たちが暮らしていたところでした。

▷境内にある階段いろいろ

  
二月堂南の石段は3つあって、両側の石段にはこのような模様があるのです。

 こちらは、俊乗堂から大湯屋に下りる階段。
この石段の数はちょうど五十二段なのです。
「五十二段」といえば猿沢池から興福寺に上がっていく有名な石段があります。
五十二という数字は、菩薩が悟りに至る修行の階位のことで、石段の数はこの階位に従ったもの。
実はありがたい石段なのですね。(筒井寛秀師著「誰も知らない東大寺」より)

 大仏殿の東から鐘楼へ上がる階段は「ねこ段』と呼ばれています。
江戸時代に書かれた文献では「ねこ坂」と書かれていて
すでにその頃には、このような名称で呼ばれていたのですが
なぜそのように呼ばれていたかはわかっていません。
一説には、この坂でころぶと猫になるという言伝えがあったとか。(「誰も知らない東大寺」より)

▷「公慶道」を歩く

公慶上人と公慶道については昨年10/13のブログ内記事で詳しく書いているのですが

ひょっとしてこの道→
ではなく、もっと東側のこの道→
が、公慶道なんだと気づいた次第。こちらの道の方が「龍松院」に突き当たるのですね。

公慶さんが思案をしながら毎日歩いた道を、今、私達も
何か想像の翼を広げながら同じように歩いているのだと思うとちょっと楽しかったりするのです。

::

東大寺の北の方でホテルを始めて、この3月で21年になろうとします。
そして散歩が大好きな雑種を飼い始めて15年半。
ちょうど仕事にも時間的な余裕が取れるようになって
犬と一緒に東大寺境内をよく歩きました。
朝早くの時間や、夜遅くの時間。移りゆく季節ごとの散策の楽しみも覚えて
近頃では老犬の足に合わせて、もっぱら大仏池周りという短距離コースが多くなりましたが
東大寺境内をあちらこちらぐるっと回って歩くのが、私の何よりの楽しみになっています。

まだまだ知り得ていないところも多い東大寺境内ですが
大仏殿や二月堂だけで終わってしまわないで
このような散策の楽しみ方も味わっていただければ嬉しいです。

また、気が向いた時に「番外編」を書くかもしれませんが
「東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース」のシリーズは一旦これにて終了です。

2010年2月26日金曜日

東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース③知っていると面白い豆知識:前編

広〜い東大寺境内のあちらこちら。
ちょっとした豆知識を知っていたらお散歩していても面白いかも・・・
と、思えるような雑学をいくつか拾ってみましょう。

豆知識の前編は「上を向いて歩こう♫」をテーマに

▷南大門の天井のダイナミックな梁を見上げてみて。
▷転害門、お寺なのにどうして注連縄があるの?
▷戒壇堂の天井には手形足形がいっぱい。
▷戒壇院の狛犬さんと鬼瓦
▷二月堂の手水舎の彫り物・・・・といったお話をお伝えします。


▷南大門の天井の梁はかっこいい!

ではまず、この写真→ 

これは南大門の天井を見上げて撮った写真です。
現在の南大門は、鎌倉時代に重源上人が再建したものですが
再建に当たり、短期間でいかに巨大で強い木造建築を建てるかということで
採用されたのが「大仏様(だいぶつよう)」という新様式です。

この様式は、中国南宋の建築様式をベースに
宋に渡ること3度の重源上人自身が新たに作り出した様式と考えられています。
構造はむき出しで、上まで通った柱を水平材が何本も貫いている様子が見通せます。

↓軒下を見ると、深い軒を支える肘木という材が、柱を貫通しています。
  
このような、和洋建築には見られないダイナミックな構造によって
建物の強度や耐震性は格段に強くなったのですが
「大仏様」という建築様式は、普及すること無く重源上人の死後は急速に廃れてしまいます。
(きっと日本人の美意識に合わなかったのかもしれませんね。)
今では、東大寺と、重源上人が造営に関係した浄土寺浄土堂(兵庫県)以外では見ることができませんが
貫を貫通させる構造手法は、耐震性を持つことから、後世の和洋建築に取り入れられました。

南大門を通り抜ける時、すごくりっぱな仁王像にはつい目がいくのですが
ちょっと立ち止まって、天井の梁も見上げて見てくださいね。

▷転害門(てがいもん)、お寺なのにどうして注連縄があるのか?
 

これは、大仏造営の頃、大仏守護の神様が、宇佐八幡から転害門を通って
手向山八幡宮へ向かわれたと伝えられているのと関係があると思います。

転害門は、神様をお迎えした門。天平時代から残る格式ある八脚門。
大仏殿から少し離れた所に位置していますので、訪れる人も少ないのですが国宝です。

注連縄の掛けかえは4年に一度の秋分の日に行われています。
転害門の注連縄付け替え作業の様子や
一日かかりでわらを編んで大きな注連縄を結い、
大勢の人達で運んで行く様子などのブログ内記事は
2005年9/23の写真はこちら
2009年9/23の付け替えはこちら。
上の、転害門の右の写真は10/5の転害会の時のもの。

▷戒壇堂の天井には手形足形がいっぱい


お堂の中へ入って天井を見上げてみると
びっくりするくらい多くの手形が天井の杉板についていますよ。

これは、江戸時代に行われた修理の際に、杉の白木の板を素手で触ったり、素足で踏んだり。
大工さんの手形足形だそうで、けっして幽霊とかの類いではないのだそう。
手の脂分が、白木の板に2〜3年経ったら浮き上がってくるそうなんですよ。
何も塗らない白木のままなので、こうしたことが起こるそうですね。

▷戒壇院の狛犬さんと龍の屋根瓦

本堂の屋根、手前の左にご注目。

門から入って中程まで歩いて見上げると、龍の顔はどう見ても猿にしか見えないのだけれど
もう少し本堂まで近づいて見ると、あらら、河童に見えるような見えないような??
そして後ろから見てようやく龍だとわかるという、ちょっとユニークな瓦があるのです。
  
猿                 河童               龍
この龍の姿は戒壇院の中へ入らないと(拝観時間内でないと)見られませんが
門前には、もうひとつユーモアたっぷりの愛嬌ある狛犬さんが屋根の上でお迎えしてくれますよ。
 

▷二月堂の南にある手水舎の屋根下には「良弁杉」の物語が彫刻されています。



東大寺の初代別当 良弁(ろうべん)僧正は、赤ん坊のときに鷲にさらわれ
東大寺二月堂の大きな杉の木におろされたという「良弁杉」のお話。
上の写真は、手水舎の西面の、赤ん坊の良弁さんが鷲にさらわれるところの様子。
二月堂まで上がったら、是非こちらの手水舎の彫刻も見て下さいね。

2月の霜の朝の良弁杉 

さて、上を向いて歩こうの次は、下の方にも目を凝らしてみよう!・・・と
次回の「知っていると面白い豆知識:後編」はそういったものを拾ってみます。

::

この記事の参考文献はこちら→
またこちらのブログも参考にさせていただいています。

2010年2月22日月曜日

東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース②散策しながら触れることが出来る天平時代の遺物

シリーズで書いていく予定の「東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース」!
第一回目の「雑木林を歩く」に続いて、ようやく(待望の?)第二回目の記事になります。

さて今回は、散策しながら触れることができる「天平時代のもの」をピックアップします。
どのようなものがあるのか、まずはざっと挙げてみましょう。

▷法華堂(三月堂)の正堂
▷手向山経庫
▷梵鐘
▷南大門の礎石
▷正倉院
▷転害門
その他に(拝観時間外に見ることはできませんが)
▷八角燈籠
▷大仏さまの蓮弁
▷戒壇堂内の四天王や三月堂内の諸仏・・・などです。

ではそれぞれ、ちょっとした豆知識を++

▷法華堂の正堂(国宝)
 
上の写真は法華堂を西側から撮ったものです。
左の写真のちょうど真ん中あたり、後ろ姿の人物が立っていますが
その人物の向かって左側が、法華堂(三月堂)の「正堂(しょうどう)」で右側が「礼堂(らいどう)」です。
人物でわかりにくいかも知れませんが、ちょうどそこで高欄に段差があるのが見えます。
「正堂」は天平時代建立も、大仏殿よりも約20年も前に建てられているのです。
「礼堂」は鎌倉時代1199年に建てられたもので
さらに1264年に二堂を一つの屋根で覆うという大改修が行われ、現在に至ってます。
天平時代の建築と鎌倉時代の建築。
建築様式はそれぞれ違うのですが、見た目には違和感無く調和が取れた美しい姿のお堂です。
ちなみに、ここで法華会という法華経を講ずる法会が行われたことから
法華堂と呼ばれるようになり、法華会が毎年3月だったことで三月堂とも通称されるようになりました。
法華堂は国宝です。

▷手向山経庫(重文)

手向山神社の前にある校倉(重文)は奈良時代に建てられたもので
三月堂の前にある校倉(重文)は平安時代のもの。
どちらも散策しながら外観に触れることができます。
また非公開ですが本坊経庫(国宝)も奈良時代建立です。
これらの経庫についてはブログ内記事「東大寺境内の校倉をご案内☆」に詳しい説明と写真を掲載しています。

▷梵鐘(国宝)
  
東大寺創建時、天平時代のもので国宝。重さは26.3t。
京都の平等院、大津の三井寺の鐘とともに日本三名鐘に数えられ「奈良太郎」という愛称があります。
この鐘がつかれるのは、毎晩8時なのですが、修二会本行の間は夜7時と午前1時。
そして勿論大晦日の除夜の鐘もですね。
美しい天平の音色が夜の境内に響き渡って、とてもいいのですよ♪

現存の鐘楼は鎌倉時代に再建されたもの。(国宝)→ 

▷南大門(国宝)の礎石
  
東大寺の正門にあたる南大門は、幅29m、高さ25m。
現存する門の中では日本一の大きさで国宝です。
創建されたのは天平時代ですが、その後、倒壊や焼失の後、現在の南大門は
鎌倉時代に重源上人によって再建されたものです。
この再建された南大門を支える18本の柱の下の礎石は
天平時代の創建当時のものをそのまま使っていて、その上に柱を立てた構造になっています。

▷正倉院(国宝)

正倉院についての詳しいことはブログ内過去記事でご覧下さい。
奈良時代創建。国宝。正面33m、側面9.4m、高さ14m、床高2.7m。寄棟造、本瓦葺。

▷転害門(国宝)

奈良時代創建。国宝。正面15m、側面7.73m、高さ10.64m。三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺。
東大寺創建当時には、南大門の他に西面に3門、南面に2門の合計6つの門があったそうで
現在まで、ただ一つ創建当初の姿を伝えているのは、この転害門だけです。
(鎌倉時代に大規模な修理が行われ、大仏様という様式が取り入れられたので
厳密にいえば、天平時代そのままの姿ではないのですが)
二度の東大寺炎上にも奇跡的に焼けずに、天平時代の東大寺伽藍の様子を伝える貴重な建築になっています。
10/5に行われる転害会の様子のブログ内記事はこちらです。


・・・・・・・・ここまでは拝観時間に関係なく、東大寺境内を散策中に触れることができるものです。
(正倉院は時間外の場合は塀の間から覗いて見ることができます。)

では次に大仏殿の中に入ってみましょう。

▷八角燈籠(国宝)

大仏殿前に立っている銅造の八角燈籠も
2度にわたる大仏殿の炎上を無事にくぐり抜けた歴史的な遺品で
天平時代の工芸技術の粋を今に良く伝えています。
灯籠としては最大級の大きさで、8面の羽目板のうち4面には
横笛(西南面)・尺八(西北面)・銅祓子(東北面)・笙(東南面)の楽器を持った
音声菩薩が浮き彫りにされています。(下の写真左より順に)
   
この写真は1月の朝8時頃に撮影したもので
ちょうど西北面の音声菩薩(写真左から2枚目)に朝日が当たって、とても美しいです。
この4面の音声菩薩の内、横笛(西南面)・尺八(西北面)の2面は特に天平時代のままのものです。

下の写真左は灯籠の竿に記された経典。写真右は灯籠の宝珠。この下の請花も天平時代のままのもの。
 
先日の「なら瑠璃絵」の夜間拝観時に撮影した八角灯籠。灯りが灯って幻想的です。

大仏さまの大きさに圧倒されて
大仏殿の目の前にあるこの八角燈籠はつい見過ごしてしまいそうですが
是非こちらも目にとめて見て下さい。

▷大仏さまの蓮弁
下の写真は昨年の秋に参加した講座で、大仏さまの足元まで登らせていただいた時のもの。
大仏さまは2度の兵火で無惨な姿になりながらも
鎌倉時代・江戸時代と2度復興再建がなされ体には無数の継ぎ目が入っています。
下半身から蓮華座にかけては、奇跡的に創建当初の姿が残されていて
天平時代に描かれた蓮華蔵世界が表されています。
  

 
写真右の金箔は天平時代のもの。
一般には大仏さまの足元まで上ることはできませんが
この蓮華座のレプリカが大仏さまの左足元辺りにおいてあります。

▷戒壇堂内の四天王像や三月堂内の諸仏

三月堂の仏たち。本尊も含めて14体が天平時代に造られたもので
いずれも漆塗りの乾漆造か粘土製の塑像です。
戒壇堂の四天王像も粘土製の塑像で
1300年近くの間、よく地震や火災の被害を免れて護り伝えられてきたものと
ここへお参りする度に、そういうことも有り難いことと、しみじみと思うのです。

※これを書いている時に「法華堂の須弥壇を解体修理」がニュースで発表されました。
内容を要約して、以下に記しておきます。

三月堂の須弥壇はシロアリの影響などで以前から劣化が指摘されてきた。
現在は下からジャッキで固定しているが、地震対策もあり修理することになった。
このため、今年5月18日から7月31日まで堂内の拝観を停止する。

8月から拝観を再開するが
修理期間中は伝日光・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像、帝釈天(たいしゃくてん)像、梵天(ぼんてん)像(いずれも国宝)、
地蔵菩薩像、不動明王像、弁才天像(いずれも重文)の7体だけで
9体は奈良国立博物館などに移して修理。
南側の礼堂からガラス越しでの拝観になる。
さら に、11年10月以降は、日光・月光菩薩など4体を
境内に建設中の収蔵・展示施設「東大寺総合文化センター」に移す予定。

また、法華堂の拝観停止中は、
鎌倉時代の僧の肖像、重源(ちょうげん)上人坐像(国宝)が安置される俊乗堂を特別公開する。

・・・ということで、法華堂の堂内の、今のような16体の仏様が一堂にそろい踏みされる様子は
5月で見納めになるのですね・・・☆

::

シリーズ「東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース」の第三回は
知っているとちょっと面白い豆知識をオンパレードでお届けの予定です。お楽しみに〜♪