2009年10月5日月曜日

「転害会」*国宝転害門に上る

10月5日は、東大寺の鎮守「手向山八幡宮」のお祭り「転害会」の日。



東大寺三月堂南隣に位置する「手向山(たむけやま)八幡宮」は
聖武天皇が大仏建立の守り神として大分県の宇佐神宮から八幡神を勧請され
その後、東大寺の鎮守となった神社です。

勧請されて東大寺へ入る時に、「転害門(てがいもん)」を通ったといわれ
これが「転害門」を御旅所として行われる「転害会(てがいえ)」の由来となっています。

20年前に奈良に来た頃の「転害会」の記憶は、門の前に屋台が多く出て大変賑やかな祭礼だったこと。
だから、私の中では手向山八幡宮の神事である「転害会」は転害門前のお祭りという認識で。
つい、こちらが祭礼の中心かと思ってしまってます。

朝9:30より「手向山八幡宮」で神事を行った後に
11:30よりお旅所の「転害門」にて場所を移して神事が行われるのですが
今日は、この時間帯に別用があったので
転害門での神事が始まる前に、ちょっと様子を見に行ってきました。

普段は門の中へは立ち入り禁止です。
つい最近、落書きが見つかってからは監視カメラも取り付けられています。

この日は一般の参拝者も門の中へ上ることができるようで
これは神事が終わってからかな・・・と思っていたのですが
始まる前(2時間も前でしたから)にも上ってもいいよということで
門の中から貴重な写真を撮ることができました。



ご町内の方々がお役目をされていました。
何しろ手向山さんの氏子ですものね。
         

おじさん達のお話によると、「子供のときは転害門は遊び場だった」と。
「昭和の始め頃は正倉院の塀なんか無かったし、正倉院のところは田んぼや畑だった」そうで
「へ〜」とか「ほ〜」ばかり相槌打ってました。

門の中の真ん中に四つの石があります。
ここに、神輿を置くようになっていたそうです。

今、飾っておいている神輿は我が家のお隣の鍵田家先代ご当主が寄付された
子供用の神輿だそうです。
  

写真中は、門の中から真上の天井を見上げたところ。右の写真は門の内側に取り付けられたカメラ。
  

ちょうど手向山八幡宮では神事が行われている時間。ちょっと自転車で飛ばして行ってみました。
大仏殿前の鏡池から神社に向かう道の両側の楓はまだ緑が濃い。
神社の石燈籠、鳩の図柄がかわいいです。

  

肝心のお祭りの様子をレポできず残念ですが
今日は、国宝転害門の中に上らせていただけたことがとても嬉しいサプライズな出来事でした。

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さて、この「転害会」に合わせて、東大寺では
勧進所の「八幡殿」と「阿弥陀堂」にて
「僧形八幡神坐像」と「五刧思惟阿弥陀如来坐像」の特別開扉が行われます。

「僧形八幡神坐像」は、元は手向山八幡宮にあったもので
明治維新後の廃仏毀釈で東大寺へ移されたのだそうです。

では、東大寺・勧進所での様子は明日へ続く・・・。