「知っていると面白い豆知識:後編」では足元の雑学を拾ってみましょう。
こちらでは
▷良弁杉の足元には
▷大仏殿参道の石畳
▷食堂跡と講堂跡の礎石
▷境内にある階段いろいろ
▷公慶道を歩く・・・・などをご案内します。
▷二月堂 良弁杉の足元には
根元付近には、樹齢600年の初代良弁杉の根っこが残っているのです。
1961年の台風で初代の良弁杉が裂けた後に植えられた二代目はその数年後に枯死し、
現存の良弁杉は3代目で実生で育ったものだそうです。
こちらの写真は一昨年ご宿泊いただいたお客様より送っていただいた写真です。
1994年に撮影されたこの写真。
3代目良弁杉がまだ舞台の欄干よりも低くて、
3月14日の「尻焦がし松明」が10本勢ぞろいしているところが綺麗に見えます。
今では良弁杉の背丈も大きく、このようには見えないと思います。
▷大仏殿の参道、八角灯籠の前の石畳の色が色々なのは?
大仏殿前の参道の石は中央の青味がかった石が仏教の生誕地「インド」産で
その両側の赤みがかった石が「中国」産、またその両側の白っぽい石が「韓国」産。
一番外側の斜めに広がってるのが「日本」の石で製作されていて、仏教の伝播ルートを表しているのです。
以前この参道は砂利道だったそうで、大仏さまが埃まみれになってしまわれることから
黒川記章氏の設計で石敷きにされたそうです。
また、参道の両端の溝には、大屋根の鴟尾が水面に写るように設計されています。
だから鴟尾と鴟尾の間隔が、参道の幅と全く同じというわけです。(狭川普文師著「東大寺物語」より)
▷食堂跡の礎石
さて、こちらは何でしょうか?
大湯屋から北に進んだ宝厳院がある辺りの道の中央に位置するこの礎石は
かつてこのあたりにあった「食堂」の礎石だそうです。
そしてこちらはご存知、講堂跡の礎石群です。
かつてここにあった大きな講堂。ご本尊は千手観音像であったと言われています。
講堂跡の中央付近には、ご本尊の基壇敷石の一部が半分以上 地面に埋もれて残っているらしのですが
私は、この石がそれだと特定できずにいます。(どなたか教えて下さい)
静寂に包まれたのどかな雰囲気の講堂跡ですが、
かつては、講堂を囲むように東と北と西の三方向に僧坊が建ち並び
三面僧坊と呼ばれて、全国から集まった僧侶たちが暮らしていたところでした。
▷境内にある階段いろいろ
二月堂南の石段は3つあって、両側の石段にはこのような模様があるのです。
こちらは、俊乗堂から大湯屋に下りる階段。
この石段の数はちょうど五十二段なのです。
「五十二段」といえば猿沢池から興福寺に上がっていく有名な石段があります。
五十二という数字は、菩薩が悟りに至る修行の階位のことで、石段の数はこの階位に従ったもの。
実はありがたい石段なのですね。(筒井寛秀師著「誰も知らない東大寺」より)
大仏殿の東から鐘楼へ上がる階段は「ねこ段』と呼ばれています。
江戸時代に書かれた文献では「ねこ坂」と書かれていて
すでにその頃には、このような名称で呼ばれていたのですが
なぜそのように呼ばれていたかはわかっていません。
一説には、この坂でころぶと猫になるという言伝えがあったとか。(「誰も知らない東大寺」より)
▷「公慶道」を歩く
公慶上人と公慶道については昨年10/13のブログ内記事で詳しく書いているのですが
ひょっとしてこの道→
ではなく、もっと東側のこの道→
が、公慶道なんだと気づいた次第。こちらの道の方が「龍松院」に突き当たるのですね。
公慶さんが思案をしながら毎日歩いた道を、今、私達も
何か想像の翼を広げながら同じように歩いているのだと思うとちょっと楽しかったりするのです。
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東大寺の北の方でホテルを始めて、この3月で21年になろうとします。
そして散歩が大好きな雑種を飼い始めて15年半。
ちょうど仕事にも時間的な余裕が取れるようになって
犬と一緒に東大寺境内をよく歩きました。
朝早くの時間や、夜遅くの時間。移りゆく季節ごとの散策の楽しみも覚えて
近頃では老犬の足に合わせて、もっぱら大仏池周りという短距離コースが多くなりましたが
東大寺境内をあちらこちらぐるっと回って歩くのが、私の何よりの楽しみになっています。
まだまだ知り得ていないところも多い東大寺境内ですが
大仏殿や二月堂だけで終わってしまわないで
このような散策の楽しみ方も味わっていただければ嬉しいです。
また、気が向いた時に「番外編」を書くかもしれませんが
「東大寺境内散策*奈良倶楽部流お奨めコース」のシリーズは一旦これにて終了です。