広〜い東大寺境内のあちらこちら。
ちょっとした豆知識を知っていたらお散歩していても面白いかも・・・
と、思えるような雑学をいくつか拾ってみましょう。
豆知識の前編は「上を向いて歩こう♫」をテーマに
▷南大門の天井のダイナミックな梁を見上げてみて。
▷転害門、お寺なのにどうして注連縄があるの?
▷戒壇堂の天井には手形足形がいっぱい。
▷戒壇院の狛犬さんと鬼瓦
▷二月堂の手水舎の彫り物・・・・といったお話をお伝えします。
▷南大門の天井の梁はかっこいい!
ではまず、この写真→
これは南大門の天井を見上げて撮った写真です。
現在の南大門は、鎌倉時代に重源上人が再建したものですが
再建に当たり、短期間でいかに巨大で強い木造建築を建てるかということで
採用されたのが「大仏様(だいぶつよう)」という新様式です。
この様式は、中国南宋の建築様式をベースに
宋に渡ること3度の重源上人自身が新たに作り出した様式と考えられています。
構造はむき出しで、上まで通った柱を水平材が何本も貫いている様子が見通せます。
↓軒下を見ると、深い軒を支える肘木という材が、柱を貫通しています。
このような、和洋建築には見られないダイナミックな構造によって
建物の強度や耐震性は格段に強くなったのですが
「大仏様」という建築様式は、普及すること無く重源上人の死後は急速に廃れてしまいます。
(きっと日本人の美意識に合わなかったのかもしれませんね。)
今では、東大寺と、重源上人が造営に関係した浄土寺浄土堂(兵庫県)以外では見ることができませんが
貫を貫通させる構造手法は、耐震性を持つことから、後世の和洋建築に取り入れられました。
南大門を通り抜ける時、すごくりっぱな仁王像にはつい目がいくのですが
ちょっと立ち止まって、天井の梁も見上げて見てくださいね。
▷転害門(てがいもん)、お寺なのにどうして注連縄があるのか?
これは、大仏造営の頃、大仏守護の神様が、宇佐八幡から転害門を通って
手向山八幡宮へ向かわれたと伝えられているのと関係があると思います。
転害門は、神様をお迎えした門。天平時代から残る格式ある八脚門。
大仏殿から少し離れた所に位置していますので、訪れる人も少ないのですが国宝です。
注連縄の掛けかえは4年に一度の秋分の日に行われています。
転害門の注連縄付け替え作業の様子や
一日かかりでわらを編んで大きな注連縄を結い、
大勢の人達で運んで行く様子などのブログ内記事は
2005年9/23の写真はこちら
2009年9/23の付け替えはこちら。
上の、転害門の右の写真は10/5の転害会の時のもの。
▷戒壇堂の天井には手形足形がいっぱい
お堂の中へ入って天井を見上げてみると
びっくりするくらい多くの手形が天井の杉板についていますよ。
これは、江戸時代に行われた修理の際に、杉の白木の板を素手で触ったり、素足で踏んだり。
大工さんの手形足形だそうで、けっして幽霊とかの類いではないのだそう。
手の脂分が、白木の板に2〜3年経ったら浮き上がってくるそうなんですよ。
何も塗らない白木のままなので、こうしたことが起こるそうですね。
▷戒壇院の狛犬さんと龍の屋根瓦
本堂の屋根、手前の左にご注目。
門から入って中程まで歩いて見上げると、龍の顔はどう見ても猿にしか見えないのだけれど
もう少し本堂まで近づいて見ると、あらら、河童に見えるような見えないような??
そして後ろから見てようやく龍だとわかるという、ちょっとユニークな瓦があるのです。
猿 河童 龍
この龍の姿は戒壇院の中へ入らないと(拝観時間内でないと)見られませんが
門前には、もうひとつユーモアたっぷりの愛嬌ある狛犬さんが屋根の上でお迎えしてくれますよ。
▷二月堂の南にある手水舎の屋根下には「良弁杉」の物語が彫刻されています。
東大寺の初代別当 良弁(ろうべん)僧正は、赤ん坊のときに鷲にさらわれ
東大寺二月堂の大きな杉の木におろされたという「良弁杉」のお話。
上の写真は、手水舎の西面の、赤ん坊の良弁さんが鷲にさらわれるところの様子。
二月堂まで上がったら、是非こちらの手水舎の彫刻も見て下さいね。
2月の霜の朝の良弁杉
さて、上を向いて歩こうの次は、下の方にも目を凝らしてみよう!・・・と
次回の「知っていると面白い豆知識:後編」はそういったものを拾ってみます。
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この記事の参考文献はこちら→
またこちらのブログも参考にさせていただいています。