2010年3月15日月曜日
二月堂修二会「お水取り」2010*「尻つけ松明」と、ちょっと思うこと
「尻つけ松明」*今年初めて見ることができました!
奈良に住んで21年。毎年、お水取りのお松明を見にきているけれど
14日の「尻つけ松明」と12日の「籠松明」だけは見たことがないのです。
今年も「籠松明」は、仕事を抜けられずに見ることは叶わなかったけれど
お水取り最後の日に、10本の松明が二月堂舞台の上に並んで
一斉に火の粉が舞い落ちる様子を見ることができ、ようやく念願叶いました。
昨日は日曜日ということもあって、すごいすごい人出でした。
1時間前に二月堂到着では、いい場所の確保もできずに
裏参道まで戻って、道端の石の上に座って待っていました。
(下の写真の所です。待ってる間もどんどん人が流れて行く。)
遠い場所からでしたが、自分の眼では綺麗によく見えて満足。
でもカメラをズームにすれば全部のお松明は入らなかったですね。
この後、結界の注連縄もお役ごめんとばかりに外されていました。
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13日は、夜遅くから二月堂へ。
昨年、一昨年と「達陀(だったん)」に感動した記憶が忘れられずに
今年は一度、「達陀」の所作がよく見える西の局に詰めてみようと出かけたのでした。
お水取りの行は見るものではなく、聴くもの。・・・とどこかで聞いたことがあります。
本当に。そう思いました。
昨年も一昨年も南の局からの聴聞でした。
よく見えないながらも、心のどこかで感じ取ることができ
有り難いことと感動したのですが・・・。
西の局は、行法の所作がよく見えるということで
撮影許可書をぶら下げたカメラマンの方々が最前列、端から端までを独占状態でした。
ざっと十数名はいらしたでしょうか。
あまり苦言を書きたくはないのですが。
この方達のマナーが悪すぎて何とも後味の悪い聴聞となってしまいました。
シャッターの絶え間ないカシャカシャという連写音。
ビデオとカメラを両手広げて撮影している人。
後ろに座っている人が見えなくても気にせず、中腰になって夢中で撮影している人。
録音機を礼堂の中に落としてしまって、行法の最中にも関わらず中の人に取ってと言う人。
達陀の妙法が終わった途端に、まだ法会中だというのに立ち上がって片付けだす人。
注意をされていた人もいましたが「撮影許可をもらってますから!」と逆に開き直ってる人。
いつの間にこんな風になってしまったのでしょう・・・。
それに、撮影許可されたカメラマンがこれほど多いとは・・・。
許可証があるというだけで特別な人間になったつもりなんでしょうか。
傍若無人な行いを見て、この中では撮影してもいいのだと勘違いして(いや確信犯的に?)
カメラ撮影する人もいて、この祈りを捧げる場で何も集中できずにイライラが募るだけでした。
二月堂局に集う善男善女の多くは、修二会の行法を見学にきているのではなく
練行衆が捧げる祈りに静かに心を寄せたいと思ってお参りに来られているのです。
カメラマンの方々は、撮影が始まると臨戦態勢に入って多分周りが目に入らないのでしょうね。
でもここは自分だけが良ければいいという場所ではないはず。
それにプロのカメラマンなら何度もシャッターを押さないで一回で決めるべき。
よくわからずに不勉強で撮っているから、無駄な所でシャッター押しているしね。
このような状況が続けば、いつかは、全く撮影許可がおりなくなるかもしれませんね。