2009年10月23日金曜日
正倉院と正倉院展にまつわる物語〜その2
昨日の続きです。
正倉院の建物に守られ1250年以上も昔の宝物が奇跡のように保存されている。
その宝もののどこが、何がすごいのかという話を中心に、正倉院展の歴史など
講座でうかがったお話をご紹介いたします。
◇正倉院展について
2009年今年、正倉院展は61回目を迎えます。
毎年秋に奈良国立博物館で開催される、この正倉院展は、どうして始まったのでしょうか?
第一回正倉院展は戦後昭和21年に開催されました。
戦争中に奈良国立博物館に疎開していた宝物が正倉院に返される前に
敗戦で希望を失った国民に公開することによって
このような宝物を持っている、そして守ってきたのだという誇りを与えようと開催されたそうで
疎開していた267件中、33件が展示され、20日間で約15万人が入場されました。
この第一回正倉院展をご覧になった知足院住職守屋長老の思い出話は
とにかくすごい人出で、半日以上も、博物館の廻りを何重にも並んだ記憶があり
開館時間も延長されたそうです。
下駄履きが駄目で裸足で入館したという思い出話も聞かせていただきました。
◇それまでの宝物公開の歴史
・明治5年 約40年ぶりに開封。
・明治8年 奈良博覧会。
222件の宝物が大仏殿と回廊で展示され80日間で約17万人の人出。
以降 明治13年までに4回展示。
・昭和15年 東京で初の一般公開。約150点展示。
20日間で約42万人の人出。
第一回から第60回までの正倉院展では、途中2回東京で開催された以外は奈良で開催。
奈良での開催の延べ入場者数は約740万人。
展示された宝物は延べ4260点。重複を除くと2400件。
これは正倉院に納められた宝物約9000件のうちの1/4に過ぎず、まだまだ未公開の宝物が多いのです。
そして、宝物は一度出陳したら、その後10年間は出陳を休むようにされているそうです。
◇正倉院宝物について
倉橋編集長が「あかい奈良」の取材で、正倉院展に関わった方々にお話を聞いて印象に残ったこと。
それは、どの方も皆さんが、正倉院の宝物に対して
大変愛情を持った言い方をされていたことが、とても印象深い出来事だったそうです。
例えば、ある先生は
「(宝物が納められていた)唐櫃が足付きで床から離れていてくれた」という表現をされたそうで
そこに「納めた方の心」を感じ、「守ってきた人々の心」「守っている人々の心」
「愛情」を感じたそうです。
これは私自身も正倉院展で毎年感じることであります。
一昨年の日記にも感想として次のような文章
・・・1250年以上も前の品々が、このような美しい状態で保存され残っているという事実に
まず敬意を、そしてこうして1250年もの間、脈々と次世代へ繋いでいくという意志や知性に、
日本人としての誇りを感じました。・・・
を書いているのですが、本当にそうですね。
正倉院宝物の何がすごいかというと
これらの宝物は、たまたま発掘されて土中から出てきたものではなく
人によって意識的に守られてきた伝世品であることがすごいことなのです。
たしかに中国やエジプトやペルシャやと、1250年どころではない4000年5000年と
もっと古い時代の遺跡はたくさんあるけれど、これらはみな発掘品であり
土中に埋まっていたことから、その輝きを失ったガラス器などもあります。
(昨年のポスターになっていた、あのガラス器もそうだけど)
「人から人へと、時代が移っても、心を繋ぎながら守り伝えていく」
こういう意志や知性こそ誇りに思えることではないかなぁと
今年の正倉院展でも、きっと同じことを感じて鑑賞することでしょう。
明日からの正倉院展、楽しみなことです。
◇「こより」の話
倉橋編集長のお話の中にも「こより」についてうかがったのですが
正倉院宝物の研究に携わってらっしゃるお客様にも同じお話を聞きました。
宝物修理の際に、宝物自体には正倉院関係者以外の方は手で触れることができませんので
研究者の方は、「ちょっとそこを右に回して下さい」というようにお願いして動かしてもらうそうです。
その時に、「ちょっとそこ」と指差すことは絶対だめだそうで、必ず「こより」で指し示すように
なっているということです。(そういう紙縒りがたくさん用意されているそうで)
また、実際に仕事に携わる時間も午前に2時間、午後に2時間と決められていて
それ以上に時間をかけても集中力が落ちて、何か不備が生じてはならないから
そういう風になっているということでした。
こうして日々の中でも小さな気配りをされて、これからの千年、二千年先まで守り伝えるために
地道な努力を積み重ねてらっしゃるのだと感心した次第です。
トップの画像は正倉院北側の塀の様子。