2008年3月1日土曜日

修二会こぼれ話⑨~いよいよ今日から本行入りです~

3月1日++

いよいよ始まりましたね!
二月堂修二会は「古都奈良に春を告げる」行事とも言われています。
ちょうど3月から始まりますので、ちょっと大袈裟ですが
私は「ここ奈良から春は始まる」ような気がしているのです。

今年で1257回目、
752年から一度も絶えることなく続く修二会の魅力をもっとお伝えできればと、奈良倶楽部流「修二会こぼれ話」もう少しお付き合いくださいね。

毎夜午後7時に上がる10本のお松明だけではない
修二会本行の中での「見どころ」とは・・・☆

(練行衆の方々が、本尊の十一面観音に世上の罪やけがれを懺悔して
平和や五穀豊穣を祈る厳しい本行中の行法のひとつひとつを、
「見どころ」なんて言っては不謹慎かもしれませんが
まあまあ固いことはおっしゃらないで^^)

では・・・

主な行法としては

◇六時の行法◇
一日を「日中」「日没」「初夜」「半夜」「後夜」「じん朝」の六時に分け、
それぞれに厳しい行法があります。

この六時それぞれにおいて唱誦されるお声明が、またいいのです!

その時々によって長短緩急があって独特の節回し、鈴や法螺貝の音も加わって一種の宗教音楽とも言われています。

お松明が終わってから二月堂堂内へ入って少しすると
「初夜」の声明が始まります。
お松明の後すぐには帰らないで少し残って声明を聞いてみるのもいいものですよ。

六時という一日の流れの中で
練行衆はそれぞれに決められた作法をこなしていくのですが、
中でも「初夜」から最後の「じん朝」までは途中で2回休憩があるだけで、
二月堂から退堂することはできませんし、
また、正午の食堂作法から「じん朝」が終わって宿所に下堂するまでは、
食物はおろか水一滴も口にできないという、
それだけでも大変厳しい行法であるといえるのです。

◇過去帳◇
3/5と3/12の「初夜」に奉読されます。
東大寺歴代の功労者の名に節をつけて読み上げ菩提を弔う行法。

過去帳の「青衣の女人」伝説は有名であり、それを聞くためにだけ訪れる方も多いです。
ちなみに「青衣の女人」は源頼朝から数えて18人目、重源上人の前に読み上げられ、
過去帳の始まりから大体30分くらいの頃になります。

◇走りの行法◇
3/5~3/7と3/12~3/14のそれぞれの「半夜」のあと。

二月堂内陣を足袋はだしで駆け巡り礼堂に走り出て床に体を叩きつけ
「五体投地」を行い、国家万民の幸福を祈ります。

◇達陀(だったん)◇
3/12~3/14の「後夜」の終わりに行われる。
鈴、錫杖、法螺貝の音に合わせ火天役と水天役の練行衆が踊るように
松明を打ち振り引き回すまさに火と水の行法です。

私はこの「だったん」をまだ見たことがないのですが、
火天役が堂内で振りかざす松明がかなり大きくて、
二月堂堂内でその行をされること自体がすごいことだと感心してしまうのです。

3/12のだったんは13日未明4:00頃、3/13のは14日未明1:00頃と
かなり遅い厳しい時間帯に行われますので、
見学される場合は3/14のだったんがお奨めです。(3/14の24:00頃)

◇お水取り◇
遠敷(おにゅう)明神が献じたとされる閼伽水が湧く「若狭井」からお香水を汲む行事。
12日深夜(13日2:00過ぎ)に密やかに厳かに行われます。

この「お水取り」の行法だけが14日間の期間中、一度しか行われないもので、修二会の代名詞ともなっています。

若狭の遠敷明神は、釣りの大好きな神さまで、
諸国の神さまが二月堂に競って行法を祝福しに来られた時に一人だけ遅れてしまったのです。
遅れたお詫びに献納したのがこのお香水です。

その若狭の国では、3/2の夜に小浜市の神宮寺と遠敷川の鵜の瀬で、
東大寺に香水を送る「お水送り」が営まれます。

小浜から送られた香水は10日かけて二月堂の若狭井へ届けられるのですね。

説明が長くなって薀蓄おばさんみたいになってきましたね^^
でもでも修二会は「お松明」だけじゃないんだよ!ということを
知っていただきたくて、私も勉強しながら書きすすめていきますね。



写真は2/29の午後、二月堂参籠宿所に入る練行衆。

小さなホテル奈良倶楽部